昔ばなし(車歴)
- 主なトピック(このカテゴリの記事の一部です)
- 1987年8月昔の写真いろいろ(Tyrrell P34とか部屋とかVFRとかCBRとか)
- 1996年1月12年前の…(かみさん)
- 1996年〜1997年:PG6SA MAZDA AZ-1(ミッドシップって、楽しい!)
- 1995年5月〜1997年3月:BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -後編-(壊しまくる)
- 1994年11月〜1995年5月:BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -前編-(氷上走行会は楽しい〜)
- 1994年頃:BFMR MAZDAファミリアGT-X(初めての四輪車、そして初めてのダート)
- 1993年〜1994年10月:4CC2 YAMAHA FJ1200A(ABS初体験)
- 1990年頃:CBR1000Fの動画(2カメでツーリングなど)
- 1988年後半〜1989年:SC24 CBR1000F(最高のマシン!)
- 1988年9月:2サイクルって馴染めなかった…(RZ250R)
- 1988年5月:VFR400Rの最終形態
- 1986年秋〜1987年春:VFR400Rを青/白に
- 1986年6月:田んぼに落ちた!
- 1986年6月:日本海ツー 2日目
- 1986年4月:VFR400R買っちゃった
- 1985年5月:記憶喪失
- 1984年〜1985年:初ツーリング初ゴケ
- 1984年9月:VT250Fが欲しい!
- 1984年7月:「中免」取得の思い出ばなし
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2008年8月15日(金)
昔の写真:Tyrrell P34とか部屋とかVFRとかCBRとか
Tyrrell P34 1977年モデル?
いちさんの記事のコメントで「どこかで見せて!」と言われて本箱のアルバムを探しました。
場所は富士スピードウェイ。たぶん1977年。私は12歳。撮影者はオヤジです。
“タイレル”6輪、大好きでした。
これは星野さん。同じく撮影者はオヤジ。

話変わって、大学時代のアパート自室。
ごっちゃごちゃですが、見て欲しいのは左下のVFR400Rのポスターです。
ライダーは我が心の師匠(別ブログ)。
わらいぶくろさんの記事を見て、そういえば…と、Tyrrellの写真と共に発掘しました。

バイクにまみれていたいお年ごろ…
これもわらいぶくろさんのこちらの記事に触発されて発掘(笑)
VFR400R(NC21)はこことかこことかここで書いている通り、一番思い出深いバイクです。
黒/黄のVFRは…当時の彼女のバイクです(^^; (20年以上前の話なんで、許せ!>かみさん)
おまけ。
これも20年近く前(1989年頃)の写真です。一番左で見事にバイク焼けした腕を組んでいるのが私(今はバイクに乗る時は必ずジャケット着てますよ(^^;)。右に写っているバイクは、当時乗っていたCBR1000Fです。
この日は、洗車した後、乾かしに走っていたら、いつの間にか日光まで来ちゃったんですよね。そんなわけで、実はこの写真に写っている人すべて、この日この場所で知り合った人たちなんです。この写真に心当たりある方、何か書き込んでくれると嬉しいなぁ〜
2008/8/15 02:16 | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
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2008年8月 3日(日)
12年前の…

D300 + AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G / ISO200 F5.3 1/25 95mm 手持ち
12年前のかみさんです(笑)
「押入れの中を片づけしていたら出てきた」と言いながら持ってきたので、「アップしちゃお〜(笑)」とパチリ。
当時は結構気合い入ってた?
2008/8/ 3 23:17 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
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2007年11月 1日(木)
PG6SA MAZDA AZ-1
昔ばなしカテゴリの17話目です。ブログが写真メインになりつつあるので、どうしようかと思ったのですが、もうちょっと昔ばなしを続けてみます。1996年〜1997年頃の話です。
BG8Zは転倒のため長期入院になりますが、実はもう一台車を持っていました。
PG6SA『AZ-1(Wikipedia)』です。
知る人ぞ知る「世界最小のスーパーカー」です。
写真のAZ-1は、実は私のものではありません。不覚にも写真が見当たらない…。運転席に乗っているのは私です。
(この記事を偶然見かけた当時のお仲間さん、TさんのAZ-1とパーツ交換して後ろだけ青いAZ-1の写真、持ってませんかねー?)
この車は上で書いた通りBG8Zと同時に所有していました。BG8Zをダート専用、AZ-1をターマック(通勤&サーキット&デート)専用として使っていました。通勤では環七を走るすべての車が大型車に見えます。サーキットは専ら日光サーキット(reardrive)です。デートは…車内が狭いので楽しいです(笑)
(日光サーキットのリンクは当時のお仲間が主催している走行会のサイトです)
ステアリングはめちゃめちゃクイック。手を持ち替えることなく運転できます。
アクセルとブレーキペダルの間隔が狭いので、ヒール&トーができず、トー&トーです。右足の親指でブレーキングしながら小指側でアクセスを煽ってシフトダウンです。慣れれば問題無し。
ミッドシップレイアウトの車は初めてでしたので、この車で初めてサーキットを走った時は新鮮でした。高速コーナーを全開で抜けて行くと自然にリアが流れて行きますが、それがとってもコントローラブル。全開のまま、若干カウンターをあて気味に気持ちよくコーナリングできます。

エンジンはF6A。DOHCインタークーラーターボ。
アルトワークスやカプチーノと同じエンジンが運転席の後ろにあります。
写真は友人のアルトワークスを借りて日光サーキットを試走している所です。同じエンジンでも、このアルトワークスは4WD。元々四駆慣れしていますから、こちらの方がしっくりきたりして…。
ちなみに当時の私のBestタイムは、友人のランエボを拝借して走った47秒ぐらいだったと思います。ホンキで速い人は40秒切ります。リア流して遊んでばかりでタイムは二の次…(言い訳)。
下の写真は、秋ヶ瀬公園(maps.google)で定期的に行われている「タービン交換オフ」で撮ったものです。
この時はAZ-1をすでに手放してしまったのですが、当時の勤務先の社長が参加していたのでくっついて行きました。というか、私のAZ-1は、この社長に売っちゃったのです…。





ものすごいシャーシ剛性で、小さい車ですが乗っていて安心感がありました。
車高が低いので、乗ったままタバコを地面で消すことができました(当時は喫煙者)。高速の渋滞ではガルウィングを上げてタバコ吸いながら走ったりして…。注目度は満点。
この車も、もう一度欲しいなぁ…。しかし4000台しか生産されなかった超希少車です。程度が良いものは馬鹿高い。
うーん、なんで売っちゃったんだろう…。
もったいないことをしました。
最後に動画を紹介します。これも私のAZ-1ではありませんが、前回のBG8Zの時にも出てきた富士天神山ダートコースで一緒に走った友人のAZ-1です。
ムービーは、WMV形式です。
最新版のMedia Player(Free)等をダウンロードしてご覧ください。【for Windows/Mac】
プレイヤーで直接見られない場合は、ムービーファイルをダウンロードしてからご覧ください。
『AZ-1のダート走行』の巻
1995年:富士天神山
タイムが出る、綺麗な走りです。
『カニ走り黒エボ』の巻
1995年:富士天神山
これはオマケ。
上のAZ-1と同じコースをランエボで走ると…
つづく…
2007/11/ 1 14:46 | 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)
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2007年10月 2日(火)
BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -後編-
昔ばなしカテゴリの16話目です。前編に続き後編です。1995年5月〜1997年3月頃の話です。
千葉2で全開だぁ!
この車は、ホントにいっぱい壊しました。相変わらずガンガン限界を越えて突っ走るものだから、コースアウトしたときのダメージも大きいのです。困ったものです。
バイクで300Km/hなんて言うスピードでカッ飛んでいたせいか、スピードは全然怖くないんですよ。俗に言う『目だけチューン』ってやつですが、これが逆に曲者でして…。

これはオートランド千葉第2コース(maps.google)での練習風景です(隣に誰か乗せています)。
この車にもだいぶ慣れて、外周をアクセル全開で曲がれるようになってきた頃です。あ…、アクセル全開は元々でした。とにかくアクセルを戻さない人間だったんです。踏むときは全部踏み、放すときは全部オフ。デジタルな人間だったんですよね(ハチロクに乗るまでは…)。
『千葉2の外周は得意なのっ!』の巻
1995年:オートランド千葉第2コース
一番大好きなコース!
『応援してくれたみんな〜っ! ごめんよぉ!』の巻
1995年7月30日:オートガーデン・アミ
(茨城県阿見町)
「アディダスカップ」に出場した時のひとコマです。
後半、思いっきりミス! …で、ギャラリーの皆様、砂かけてどうもすみません。
フロントLSD無し。センターは純正ビスカス。リアは2WAY。
一度姿勢が崩れるとリカバリーが難しいです(言い訳(^^;)。個人的には、前のBFMRファミリアのデフロック直結4駆の方が、何も考えずにブンブン振り回せて、コーナリング途中で妙な挙動を起こさないので性に合っていたような気がします。
姿勢が安定しない。ちょっとミスると挙動が急激に変わる。通常43:57のトルク配分から、状況によって60:40というFR寄りからFF寄りになってしまうバリアブル・トルク・スプリット。でも、結局は慣れの問題か? 当時は初心者なりに悩んだことがありました。
『千葉2:三連荘』の巻
1995年:オートランド千葉第2コース
最初のファミリアは私。次が師匠。黒エボも激走!
クマゼミの由来
(当時)一部の人には好評を頂いておりました『セミ』の図です。
これは、所属チーム(BigOn)とオクヤマさんとの合同練習会の1シーンです。
コースは、栃木県の丸和オートランド那須。1995年7月9日の話です。
問題の場所は、パドックから見て一番奥。通称『象の鼻』と呼ばれる付近です。しっかり赤旗まで写っていますが、この赤旗の位置が『岬』と呼ばれる場所です。カメラマンはパドック側から撮影したものと思われます。丸和をご存じ無い方のために書いておきますと、パドック側から見えているこの部分は、地面から5メートルほど登った所です。

この日は、初めて丸和を走ったんです。
「一周めは様子みろよ〜」
と言われていたので、一周めは様子みたんです。
二周目にストレートから『への字』に入るところでギアは4速。スピードに慣れているとはいえ、初めて走るダートコースでオーバー100Km/hは少しびびりました。ここで危うくインに引っかけそうになりましたが、なんとか立ち直り問題の三周め。S字を抜け、岬の横を抜け、奥の外周を全開で…曲がれません!
オーバースピードで、45゚くらいの角度で突き刺さるような格好で壁に激突。そのまま右前輪が壁に食い込むように乗り上げ、車体が20°30°…傾く。
「やばい、やばいぞ! こけるー」
ここで何を思ったか、壁に向かってステアリングを切り、そのままアクセル全開! 約5メートル登ったところでタイヤが食い込み、そのまま45°の傾きを保ったまま張りついてしまったのです。あともうちょっとでギャラリースタンドまで登り切れたのに…。
4点ベルトを外してドアを開けて車を降りようとしましたが、ぐらぁ〜 っと動くんです。車が…。うまくバランスが取れている状態だったんですね。仕方がないのでクラクションを鳴らして救助を待ちます。めちゃめちゃ怖かったですよ…。助手席の方に目をやると、5メートル下に地面が見えるんですから。
駆けつけた皆さんの目に映ったのは、まるで「木に張りついて鳴いているセミ」のようだったと…。それ以来「クマゼミ」と言われるようになりました(笑)
レスキューは、土手の上側から2台で引っ張ってもらい、テールを先に地面に落とし(BGが倒立してる状態)その後は下から引っ張ってもらいました。脱出成功! みんなで拍手。競技本番中なら、そのまま転がされて捨てられる所です。感謝!
損傷は…、アシ周りは大丈夫。倒立したくせにリアの損傷も無し。マフラーが逝っちゃったくらいだけど、これはスペアを持ってるので問題無し。エアコン関係も逝っちゃったようで、これは直しても壊しそうな部分なので、いっそのこと取り外すことにします。
一番の問題はラジエータで、ガムテープ補強で走ってみて大丈夫そうだということで高速使って帰ってきてしまいました。ところが、首都高環状線に入る導入路のところで「ぶしゅぅ〜」。
JAF を待ってる間、1台のダートラ車が心配して止まってくれました。フロントの損傷具合とガードに詰まった泥を見て、「丸和ですね(笑)」と一言。競技車がJAFを待っている状況がすごく恥ずかしかったけど、なんだかダートラ仲間という感じで嬉しかったです。
隅っこで居眠りしてたらロードサービスカーがサイレン鳴らしてやって来ました。
くま:「ご苦労様です」
JAF:「会員証は……(JAF公認競技車両なんだから)当然持ってますね(笑)」
くま:「はい当然…(^^;(すげー恥ずかしい)」
セミ事件には後日談があって、その翌週あたりに全日本戦があったんですよね。完熟歩行しながらコースの上を見て、なぜあんなところに「わだち」があるのだろう? と首をかしげた人がいたとかいなかったとか…。
私の別ブログの過去記事に丸和のパノラマ写真をアップしてあります。あと、全日本選手がどのくらいのスピードでこのコーナーをドリフトで走り抜けて行くのか…という動画もアップしています。
修理完了〜。直ればまた全開です!
富士天神山ダートコースを借りて練習中! の図です。
確か、このときは「規制パイロン全部倒して岩石アタック!」の直後だったと思います。
『思いっきり横向けたいの…』の巻
1995年:富士天神山ダートコース
基本的にフィギュア部門なの…
初めての転倒 - BG8Z第一部 完 -
調子に乗って、がんがん壊してはいたものの、致命傷を負うことがなかったのは今までラッキーだったんでしょうね。しかし、ついにオートランド千葉で練習中に初ゴケしました。

というわけで、初めてロールバーの恩恵を受けました。これがなかったら、確実に屋根はつぶれています。
転倒中って、本人は思っていたよりも冷静なんです。
「あ〜、やっちゃったー」
「頼むー、フロントガラスは割れないでくれ〜」
「屋根は無事でいてくれ〜」
「あぁ、修理代○十万コースだなぁ〜」
なんて、考えている余裕があるんですね。というよりは、脳味噌って、こういう時は瞬間的に色々なことを考えちゃうんでしょうね。
皆でひっくり返して戻します。
とりあえずエンジンはかかるし自走もできそう。
今回はラジエーターは無事!
応急処置が一段落してショップに電話をかけます。
くま:「転倒しちゃいましたー!」
ショップ:「なぁにぃーっ!」
くま:「ウィンドウも逝っちゃってるんですけど週末のイベントまでになんとかなりますかねー」
ショップ:「今日中に持ってくればなんとかしてやる!」
くま:「やりー!」
なんとか自走して千葉から相模原(神奈川)まで走って持って行ったのに…
「結ぇ構ぉ〜逝ってるなー 無理だわ、これ…(あっさり)」
「こりゃぁ保険屋の見積もりだったら120〜130万コースだな」
「BGのグレードの低い奴を1台まるごと安く買ってきて、ボディーパーツ移植するしかないなー。それでも70〜80万コースだなー」
「そーとーよじれてるぞーイベントは無理だよー」


写真は挿し絵で、ショップの かずおさんと(SBに跨がってる)おかーちゃん。去年の4月にSBを見せびらかしにショップ(BigOn)に遊びに行った時のものです。
というわけで、BG8Zは長期入院することになりました。
え? 捨てなかったのかって?
そう。直したんです。
2007/10/ 2 18:14 | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)
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2007年8月12日(日)
BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -前編-
昔ばなしカテゴリの15話目です。前編は1994年11月〜1995年5月頃の話です。
前回のBFMRに続き四輪編パート2です。BG8Z編は長いので、前編/後編に分けます。それでも長いですが、お好きな方はどうぞ!
さて、困りました
BFMRを壊して車が無くなってしまいました。
ダートは楽しいけれど、車が壊れる率が高い!
ここで二つの選択肢があります。
- これ以上深入りせず、おとなしくファミリーカーを買ってドライブする。
- まだ続ける。
前者を選んでいたら、ここでこんなことを書いていないわけで、ここは「まだ続ける」を選択します。
そうと決まれば車選び。
今度は競技ライセンスを取得し、本格的に始めよ〜って思ったんですよね。
すると、また二つの選択肢が現れました。
- 中古の競技車を買ってくる。
- ゼロから競技車を作る。
経験者の方からは前者を薦められました。しかし、どうしても後者を選びたかったのです。今振り返ると正解だったかな? なんといっても車に愛着がわきましたから。でも、初めての方に対して、今もし自分がアドバイスをするとしたら前者を薦めると思います。だって、お金かかりますもん。
というわけで、引っ越しました。車のために。
冷暖房完備のフローリング&天窓&ロフト付きの部屋。累計うん千枚のCD&LDコレクション。大画面100インチプロジェクター&サラウンドアンプ、などなど…。
そんな環境を全部無くして、ついでに風呂も無くなって、ぽっとん便所の○○アパートに引っ越しました。まぁ、貯金がゼロだった自分が悪いんですけどね。
FJ1200Aも売却しました。しばらく四輪だけの生活になります。
車は何を選んだかと言うと、またまたファミリアを選んだんです。
でも、今度はBG8Zファミリア。
1800cc 180馬力の4WDターボGT-X。出物を見つけたんですよね。
上の写真は、買ったばかりのBG8Zです。

この型もWRCで頑張っていました。写真は、同じBG8ZでもGT-Rという210馬力仕様ですけどね。いやぁ〜、いいカラーリングですね。こんな風にすれば良かったなぁ。
ところで、ダートラ車のクラス分けってご存じですか?
当時の車両規則を大きく分けると、ナンバー付きで改造範囲が制限されているA車両、JAF/FIA公認(登録)車両を改造したC車両、なんでもありのD車両の三種類がありました(ジムカーナ車とラリー車についても、それぞれ別の車両規則がありますが、ここでは割愛)。あと、車両規則とは別に、FRクラスとかレディースクラスとかSクラスとか…主催者側がオリジナルクラスを作ってエントラントを集めたりします。
ここでのクラス分けは、私が参戦していた当時のものです。最近のレギュレーションについてはJAF:国内ダートトライアルのページをご覧ください。
私の場合、普段の足にも車を使うので、ナンバー付きのA車両で車を作ることになります。A車両クラスの中にも1〜4までありまして、排気量によって、A1、A2、A3、A4に分かれています。要は、軽自動車と2000ccが同じ土俵で戦ったら不公平だってことですね。
新しく購入したファミリアは1800ccです。2000cc以下だから、クラスはA3だなーなんて思っていたわけですが大事なことを忘れていました。ターボ車の場合は、ターボ係数と言って、排気量を1.4倍で計算しなきゃならんわけです。すると1800ccのファミリアは、めでたく2500ccオーバーとなり、立派なA4クラス。A4クラスの主力戦闘マシンはどんなもんかというと、三菱ランサーエボリューションやらSUBARUインプレッサやらTOYOTAセリカGT-Four(あんまし見かけないけど)、そりゃぁ一緒に走るのは反則でしょーっていうマシンばかりなんですよね。

カッコイイー!
※写真提供:りんくうさん
八千穂レイクで氷上練習
BFMRファミリアを壊して無くした年に車だけは買いました。商売道具のパソコン以外の家財道具を売って、何とか改造費の半分も作りました。でも、まだ足りない。う〜む。
仕方ない。もうしばらく、このまま遊ぼー!

場所は長野県の八千穂レイク(maps.google)…。そう、氷が張った湖の上です(氷が張っていない八千穂レイクの写真(tp6n-mr))。
これがまた、おもしろいんですわ。普通に走ったらぜんぜん進まない、曲がらない、止まらないという例の三拍子なんですけど、あの辺でケツを出して、あの辺で立て直して全開だぁ〜と、手前手前の操作で車をラインにのせる…。氷上の醍醐味です。
チェーンやスパイクタイヤで走った方が楽しいって言う人が多いのですが、私はグリップの低いスタッドレスで走る方が好きなんですよね。タイヤは8分山のグラスピックです。
3速半開状態から2速に落とし、フェイントモーション&ブレーキリリースで綺麗にケツが流れます。後は横向きながらアクセル全開。壁向いて走るのは楽しいです。
上の写真を見て頂ければわかる通り、このBG8Zファミリアって4WDのくせにFRみたいな挙動なんです。カウンターあててますでしょ? そうしないと簡単にスピンしちゃうんですよ…。BFMRのようにデフロックはできないし、センターデフはビスカス、フロントデフは存在しない…。
オートランド千葉の某Iさんに試乗してもらった感想は
「よくできたハチロクみたい」
だそうです。
ここから3枚の写真は、ダートラA車改造後の翌年に行った時のものです。
※写真提供:ぼすさん
氷の上の楽しさ。
しばらくハマりました。
師匠の車(手前)や仲間たちの車と並んで一枚。
競技車両に生まれ変わりました

できました!
立派な競技車に生まれ変わりました。
嬉しい〜
BFMRの最後はインを引っかけて危うく転倒するところだったので、次の車にはロールバーは絶対に入れようと…というか、ジムカーナと違って、転倒車が続出するダートラではロールバーは必需品です(なんか表現が違うような気もするが。まぁいい)。

車なんて簡単に転がっちゃうし、そうなったら確実に屋根なんかつぶれてしまうものと認識していた方が良いです。ドライバーの身を守るためにも、是非ともロールバーは装着しましょう。
下の表は、イベントにエントリーするときに申込書に書いていた内容です。そのまま、改造箇所ってことですね。
| 車両形式 | E-BG8Z改 | エンジン形式 | BP | 排気量 | 2575cc | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| A車改造車検 | 定員2名、ロールバー、Fスプリング、Rスプリング | |||||
| クラッチ | カバー/ディスク: マツダスピード | |||||
| ブレーキ系 | プロジェクトμ | |||||
| ショックアブソーバー | GAB | |||||
| スプリング | セイフティ | |||||
| エンジンマウント | マツダスピード | |||||
| トランスミッション | ギア比 (1) 3.454 (2) 1.833 (3) 1.310 ノーマル | |||||
| ディファレンシャル | ギア比 4.214 | LSD | マツダスピード | |||
| ステアリング | momo | 径:360mm | ||||
| 安全ベルト | シンプソン | 4マウント 4ポイント | ||||
| 座席 | BRIDEアーティス | |||||
| ロールバー | ダッシュ | 8点式 | 径:40mm | |||
| タイヤ | ヨコハマ | GR-17 | 185/65 R14 | |||
こういうものを専用の申し込み用紙に記入して、エントリ費用と一緒に送ると、よっぽどのことがない限り『受理書』が送られてきます。当日のゼッケンも、この時にわかります。

ドッキドキ(というわけでは無かったけれど)のデビュー戦です。
(千葉県フレッシュマンシリーズ:オートランド千葉第2コース(maps.google))
この写真は、その時のパドックの写真です。結果は…聞かないでくださいな。
2007/8/12 23:41 | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
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2007年7月27日(金)
BFMR MAZDAファミリアGT-X
昔ばなしカテゴリの14話目です。1994年頃の話です。
当初、昔ばなしはバイクだけにしようと思っていましたが、割と四輪にも興味ある方が多いみたいですね。以前公開していた車のサイトに書いた記事と、ほとんど同じ内容ですが公開することにしました。
長いですが、お好きな方はどうぞ! 当時の動画も多めにアップしてみました。
ムービーは、WMV形式です。
最新版のMedia Player(Free)等をダウンロードしてご覧ください。【for Windows/Mac】
プレイヤーで直接見られない場合は、ムービーファイルをダウンロードしてからご覧ください。
はじめての四輪車
これまでずっとバイクだけの生活でしたので、普通免許を取得したのは1993年(平成5年)、年齢的には28歳という遅さです。スポーツ性はバイクに求め、車は遅くてもなんでもいいから、とにかく実用的なものを求めていました。2輪のレースをやってみたかったので、トランスポーターにできる1BOXがいいなぁなんて思っていました。
とりあえず車に馴れるために、AT車でも軽トラックでもいいから何かに乗りたくて車の雑誌を広げていたところ、前に勤めていた会社の後輩が
「車探してるんですか? だったらボクの売りましょうか?」
と、声をかけてくれました。
「そりゃ嬉しい。是非、安く売ってくれ〜 いくら? え? 15万でいいの?」
買いました。
あとから考えれば、少し“ぼられた”気もしなくはないけど、まぁいいか。
問題は車の名前です。
「で、車は何? え? ふぁみりあぁ? なんか、所帯染みた名前だなぁ」(失礼!)

このとき、車に関する知識はゼロです。車名を言われても「絵」が浮かんできません。
写真はBFMRファミリアのWRカー(MAZDA 323)です。
カッコイイー!
※写真提供:りんくうさん
あとから“そいつ”が語ってくれた説明を思い出すと、どうやら譲り受けたファミリアってのは「日本初のフルタイム4WD(Wikipedia)」なんだそうです。もちろん、同じファミリアでもグレードがあります。4WDではなく、FFで排気量が1300ccや1500ccといったバージョンもありました。自分が車に興味持つまでは知りませんでしたが、FFの1300ccファミリアと、4WD 1600cc ターボ付きのファミリアは、まったくの別物なんですね。
で、運良く(悪く?)私が譲ってもらったのは後者のファミリアだったんですね。WRCでも頑張っていた立派なラリーカーのベース車なんだそうです(上の写真)。
厳密に言えば、グレード名がGT-Xですから、ファミリアの中では快適豪華仕様車なんですよね。
前オーナーからいろいろ説明されましたが、その時は正直言って、そんな細かいことはどうでもよかったんです。とにかく140馬力のDOHCターボ車が15万円だって言うのだから、すでに買うつもりになっていたわけです。
はじめての峠
納車日、早速箱根に出かけました。これ、旧nif FCARのオフ会です。
てっきり、「ただ、お茶して帰ってくるだけ」だと思っていた自分が悪いんです。今思えば無謀でした。若葉マーク付けて、路面が凍った真冬の夜中に箱根の峠に行くんですから。
実は道中、早速電源系のトラブルに見舞われました。オルタネータの故障です。これが後々まで
「初オフで、ファミレスにJAFを呼んだ男」
として語り継がれていきます…。
上でも書いた通り、私が普通免許を取得したのは28歳です。夜の箱根でカッコよく車を操るみんなの走りを見て、とても羨ましく思いました。言ってみればイニシャルDのイツキ君状態…というより、カルチャーショックを受けましたねー。同じ峠道を、私は今まで早朝や昼間の明るい時間帯にバイクで走っていたわけです。とにかく自分の興味の対象外には、とことん無関心でしたから、夜のステージで、こんなシナリオが展開されていたなんて、寝床にいた私に知る由もありません。
で、私は思いました。
「こりゃ、最低限人並みに走れるようにならなきゃいかん」
と。
FCARの中に『モータースポーツルーム』という場所がありました。そこのメンバーが中心となって『ジムカーナ練習会』を開催するという情報を見つけました。願ってもないチャンスです。早速エントリーしたのは言うまでもありません。
はじめてのジムカーナ
「く、車がこんな動きをするなんて…」
現役のジムカーナ選手も参加しており、その“普通じゃない車の動き”に釘付けです。自分も真似してやってみるわけですが、当然、頭の中でイメージした走りとは全然違う方向に車が行っちゃいます。
『初めてのジムカーナ練習会』の巻
1994年:水上:宝台樹スキー場
仲間うちのジムカーナ練習会に初参加です。
とにかく何もかも初体験!
ぜ〜んぜんまともに走れないのです。
悔しかったですよー。あとでビデオ(上の動画)を見せてもらったら、ただタイヤから白煙を上げて、まっすぐコースアウトするだけの映像しかないのですから…。
そうそう、同時期に『ダート練習会』も予定されていました。それにもエントリーしたのですが、ご親切にも
「ダートを走るなら、それなりのショックが必要だろう」
と、BFMRファミリア用のラリーショックを譲ってくれた方がいたんですよね。
なんと、ありがたい話でしょうか。しかし、コレが後の進路に深〜く影響してくる出来事なのでした。
実はジムカーナ練習会のときに、このラリーショックを積んでいたんですよ。
これは、後に
「ジムカーナのときに、駐車場でショック交換させた奴」
と語られる話なのでした…。
だって、自分でできないし、どこに持っていけば良いかわかんなかったんだもん。
当時手伝って頂いた方々、どうもありがとう!
というか、人に作業させて、私は写真撮ってただけですが(^^;
これはオマケ!
『デロリアンでジムカーナ』の巻
1994年:水上:宝台樹スキー場
世にも珍しいデロリアンのジムカーナ姿!
オーナーは友人のデロさん(公開の許可は頂いてます)。この日、助手席に乗せてもらったけど、140Km/hで炎は出ませんでした。
はじめてのダート
はなし変わって『ダート練習会』です。
へなへなのふわふわ街乗りショックから、きびきびのラリーショックに変わってルンルンなのです。
「ダートがドライバーを育てるのは知ってるぞ! 二輪のオンロードレーサーだって、オフロード上がりが速いんだ! 私だって、二輪ならドリフトできるんだぜぇー」(※注:多少大袈裟)
というノリで出かけたのはいいのですが、ふたを開ければジムカーナどころの騒ぎじゃありません。車がまったく言うこと聞かないんですもん。
『アミで寸止め…』の巻
1994年10月:今は無きオートガーデン・アミ(茨城県阿見町)
ぐちゃぐちゃの泥濘路。
『アミで寸止め成らず…』の巻
1994年10月:今は無きオートガーデン・アミ(茨城県阿見町)
車って、こんなに曲がらないものなのか! ということを身をもって経験できました。
路面は超ぬたぬたの泥ねい路。初っぱなで壁にぶち当たり、ご覧のありさまです。
いくら4WDとはいえ、
・進まない
・曲がらない
・止まらない
の三拍子なんです。
ところで、色々なドライバーを見て思うことは、ドライバーって大きく二つのタイプに分けられるなぁ…と。
- 最初は感触を確かめながら徐々に自分の限界を高めていくタイプ。
- いきなり限界を越えて突っ込んで、あとから荒を削っていくタイプ。
一般的に言われていることかどうかなんて知りませんが、もちろん自分は後者のタイプです。どうせ練習車だし、こうなったらもう、いけいけどんどんです。
「このスピードで、このタイミングでハンドルを切ったら車がどんな動きをするのだろうか?」
広場で思いっきり、何度も何度も練習しました。
『ステアのタイミングが遅ぇ〜んだよ!』の巻
1994年10月:今は無きオートガーデン・アミ(茨城県阿見町)
なかなか思うように走れないものです。
『今度は早すぎだ〜っ!』の巻
1994年10月:今は無きオートガーデン・アミ(茨城県阿見町)
色々とアドバイスを受けて…
その通りに走った結果。
左右対称にガンスカぶつけて壊し、二回目の練習会で、タイミング間違えて壁アタックして、BFMRファミリアはこの世を去りました。
でもね、このファミリアで色々勉強できましたよ。うまい人の横に乗せてもらい、また自分の車に乗ってもらいながらタイミングをつかんで行くわけですね。
あと、もう一つ覚えたことは、デフロック(K.M's GARAGE)してトラクションがガンガンかかった曲がりづらい車を、フェイント(hatena)でわざと姿勢を崩しドリフト状態に持っていく…とかね。これが決まるとメッチャ嬉しいのよね。この嬉しさ楽しさだけで、ダートラやってたようなもんです。失敗すると、とっても痛いんですけどね。
でも、アクセルなんか緩めない! 四駆は全開あるのみだー!

当時、ダートラ場だった『オートガーデン・アミ』を走る『くまファミ1号』(この写真、派手さはないけど、お気に入り)

BFMR 最後の勇姿です。
ありがとうBFMRファミ!
というわけで、車壊して、ますますダートにハマって行く くま なのであります…。
2007/7/27 22:23 | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)
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2007年6月30日(土)
4CC2 YAMAHA FJ1200A

昔ばなしカテゴリの13話目です。1993年頃の話です。
CBR1000Fを売却してから少し経つと、「デカいバイクに乗りたい病」が発症しました。
馴染みのバイク屋に遊びに行って、なんとなく気に入ったFJをお持ち帰りしました。
写真が見つからないので、カタログ写真より拝借しました。私が所有していたFJも、形式、色共にこの写真と同じです。
このFJはABS装着車です。
雨の日の「タクシー、ウインカーも点けずに割り込み」というありがちなパターンで助けられました。強烈なキックバックはありましたが、ABSが無ければ間違いなくフロントロックで転倒しているシーンです。
「ABSって素晴らしい…」
そういう思いもあって、今のSBはABS付き(別ブログ)です。
しかし、なんだか物足りない!
と言うのも、「国内仕様」を買っちゃったんですよね。CBR1000Fが135馬力の逆輸入車でしたので、走っていてちっとも面白く無いのです。輸出仕様に改造しても良かったんですけど、なんとなく気に入ったものは、なんとなく飽きてしまったのです。
(気に入って乗っている方、すみません!)
どうしても愛着が湧かないので、それほど長い期間乗らずに、買ったお店で売ってしまいました。
その後は車の競技にハマり、バイクは通勤スペシャルのスペーシーに変わりました。
独身時代の『昔ばなしバイク編』は、ひとまずこれで一段落です。
「四輪編はどうしようかなぁ〜?」と思いましたが、お好きな方もいるかもしれないので、次回以降更新してみます。
2007/6/30 17:55 | 固定リンク | コメント (16) | トラックバック (0)
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2007年6月 3日(日)
CBR1000Fの動画
昔ばなしカテゴリの12話目です。1990年頃の話です。
当時、カウルに小型のビデオカメラを取りつけて動画を撮っていました。カメラと8mmテープデッキが分離しているタイプで… だめです… メーカーはSONYということは覚えていますが、型名は忘却の彼方です。前回の記事の一番最後の写真にちょっとだけカメラが写っています。
振動や風切り音が酷いんですけど、こういうのお好きな方はお楽しみください。
ムービーは、WMV形式です。
最新版のMedia Player(Free)等をダウンロードしてご覧ください。【for Windows/Mac】
プレイヤーで直接見られない場合は、ムービーファイルをダウンロードしてからご覧ください。
『右ウインカーに気をつけろ!』の巻
1990年:国道16号線千葉県沼南町付近
房総ツーリングの待ち合わせ場所に行く途中。
寝坊したのが悪いんです…。
今は一応ゴールド免許(別ブログ)です(^^;
『伊豆:亀石峠付近…で転倒』の巻
1990年:宇佐美から伊豆スカイラインに通ずるお気に入りの峠。
路面の黒いシミはオイルだったんですね…。
路面は悪いし、大丈夫かな? と思いつつ走ってますが…やっぱりダメだった。
『信州:2カメでツーリング』の巻[1]
軽井沢から上田に向かうR18。私のCBRには前向きに、友人のSRXには後ろ向きにカメラを取り付けてのツーリングです。
青白のCBR1000Fが私です。
『信州:2カメでツーリング』の巻[2]
上の続きです。思いっきりカメラを意識して走っていたらクラクションを鳴らされてしまった恥ずかしい映像です…。
子画面は私のCBRに車載したカメラの映像です。
『信州:どこかの林道』の巻
上の続きです。松本の方だったか…八ヶ岳に抜ける道だったか…忘れてしまいました。
ずーっと映ってるCBR1000F(青いジャンパー)が私です。
だらだら走っているだけです。
『R20:スペシャルステージ』の巻
上の続きです。SRXの登坂が苦しそうなので、途中からCBR視点に切り替えています。
この日は、関越道上里SA集合で、碓氷峠〜長野〜八ヶ岳などをぐるっと周って帰りは中央高速の八王子で解散というルートで、1日1000km走りっぱなしでした。それを全部ビデオに撮ってあったりします。
著作権表示の「dechi」というのは、昔公開していた時のもう一つのハンドル名です。
CBR1000Fは、まだまだ色々なエピソードがあるのですが、写真や映像として残っているのはコレだけなので、ひとまずこれで。
2007/6/ 3 17:17 | 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (0)
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2007年5月18日(金)
SC24 CBR1000F
昔ばなしカテゴリ11話です。1988年後半から1989年の話です。
RZ250Rに乗っている頃、限定解除に通っていました。88年のケルンショーで参考出品されていたバイクに一目惚れしてしまい、どうしてもそれに乗りたくなったのです。
「いつかは限定解除」と思っていましたが、良いきっかけでした。

それがこいつ。
CBR1000Fの1989年モデルです。
CBR1000Fシリーズは89年モデル以前にもありましたが、いまいち顔(honda)が好きではありませんでした(リンク先はCBR750)。
89年式はデザインが一新されました。
「うわぁ、これしか無い!」
って思いましたね。
この頃は埼玉県に住んでいたので大宮試験場に通っていました。俗に言う「稲刈り三回」と言うところです。試験場の周りが田んぼで、稲刈りを三回見るまでパスできない…という意味らしいです。全国でも埼玉県の限定解除は厳しいことで有名でした。
確かに、1回目はバイクにまたがった瞬間に落とされました。
「サイドスタンドを外してから乗らないとダメ」
だそうで…。
2回目は、エンジンスタートし、第一コーナーを曲がったとたんに止められました。
「ここはサーキットじゃないんだぞ。キープレフトだ!」
はい。ごもっともでございます。
3回目は十分注意して…。
こんどはトロ過ぎるそうです。加速するところはガバッと加速し、減速するところはガツンと減速する。とにかくメリハリのあるライディングをしなければ受かりません。交通機動隊の白バイをイメージして頂ければ…。あ、今は大型自動二輪って教習所で取れるんですよね。
そして、5回目で完走しました(5回目は試験場が鴻巣に移転)。ほぼ間違いなく「完走=合格」でしたので、無事戻ってきたときは一緒に試験を受けていたみんなから拍手喝采でした。顔ぶれがいつも同じなので、いつの間にか仲間意識が芽生えるんですよね。

後ろに乗っているのは従兄弟の坊主です。田舎の庭先でちょっと乗せてやった時の写真です。場所は新潟県佐渡島。
今見てもカッコイイと思います。もう一回買い直してもいいなーと思えるぐらいお気に入りです。
89年型のCBR1000Fは、限定解除に通っているうちから予約し、生産開始と同時に輸入しました。
これは、ヨーロッパ135馬力仕様です。
4回目の限定解除に失敗した帰りにバイク屋に寄り、近況を聞くと、
「もう今ごろ船に積まれて日本に向かっているよ」
ということでした。
やばいやばい、早く限定解除しなきゃ。
結局、日本到着までには限定解除できませんでしたが、ヘッドライトのレンズカットが逆なので日本仕様に直したり、ま、色々整備がありまして、そうこうしているうちに無事に限定解除でき、納車には間に合いました。

上の写真は房総ツーのひとコマです。
限定解除した後、実は納車が待ちきれなくて会社のお仲間からHONDA VFR750F(86年式)を少し借りて乗っていました。
ナナハン。最初は
「おー、やっぱ違うなー」
って思いましたが、すぐに慣れてしまいます。乗っているうちに400ccとあまり変わらないかなぁ…と。
しかし、このCBR1000Fは違いました。
「逆輸入のリッターバイクとは、こうも違うものか!」
「次元がまったく違うぞ!」
ラフにアクセルを開ければホイールスピンして、10メートルぐらい路面にブラックマークを付けつつ2速でフロントが持ち上がる。4速5速…とシフトアップし、速度計は軽く200km/hオーバー。ここからは未体験ゾーン。そこから1速落として再加速…なんていうこともできる。230〜240km/h辺りでアクセルをさらにガバッと開けると、フルエアロのカウルを付けた車体にダウンフォースがかかり、より安定した加速を見せます。スクリーン下部のスリットから入ったエアは、スクリーン上部の巻き込みエアをカットし、250km/hオーバーでも伏せずに高速巡航できます。速度計はメーター読みで300km/h! ここからは、
「ミラーをたためば10km/h伸びるよ」
という世界。
(公道じゃ無いよ…と、一応書いておきます)
いやはや、とんでもないバイクでした。

で、結局、こういうオチなのですが…、まぁ、このバイクも色々やりました。雨の通勤途中に追突事故やりましてね。この写真は、ガムテープ補強して乗っていた時のものです。
箱根でぶっとんでカウルを壊したこともありました。
「登録も一番なら、鈴鹿工場にパーツ発注するのも一番だな!」
と、ショップのオヤジに言われてショックを受ける私でした…。
あと、トライカーナって言いましたっけ? バイクのジムカーナ。あれにハマってまして、夜な夜な駐車場にパイロンを立てて、このバイクで8の字旋回とかの練習をやっていました。

上の写真は伊豆ツーのひとコマです。
SRXやGF250、そしてFZR250… お? みんな女の子です。なんちゅ〜ナンパなツーリングでしょ…。
先にも書いたとおり、このバイクは過去に乗ったバイクの中で最高のランクです。今でもたまに街中を走っているのを見かけますが、懐かしいやら羨ましいやらで追いかけてしまいます。また乗りたいなぁ。
2007/5/18 23:07 | 固定リンク | コメント (27) | トラックバック (0)
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2007年4月 7日(土)
2サイクルって馴染めなかった…
昔ばなしカテゴリ 10話目です。1988年後半の話です。
VFR400Rは盗難にあいました。社員旅行に行っている間に…。
帰ってきたら、あるべき場所にあるべきものが無い! 切られたチェーンとカバー、そして壊されたキーの破片を残して、それは消えていました。
「あれ? 出かける前に誰かに預けたっけ?」
こういう時って、しばらく目の前の状況が把握できないんですよね。
オリジナル塗装のバイクだったので、
「すぐに見つかるかな?」
と思っていましたが甘かったようです。
結局出てこないし警察は真剣に探してくれないし。あぁ、なんか思い出すだけで腹が立ちます。なんで、人のものを盗むかなぁ。
通勤にも困るので、何か中古で買おうと思って探していたらRZの出物があるということでいつものショップに行きました。初めてヤマハのお店でヤマハ車を買いました。
RZ250Rは2サイクル2気筒エンジンのオンロードスポーツ車です。
4サイクルエンジンには無い“どっかん加速”が気持ち良くて、
「おー、いいなぁ。これ」
と、最初は思っていたんですけどね。どうも、やはり2サイクルには馴染めなかったようです。何より、ガソリンの他にオイルの量を気にしなければならないのが面倒で面倒で…。
そんなこんなで、あまり愛着も湧かずに手放しました。残っているのはサービスマニュアルのみ。
正確にはコレ、限定解除するまでのツナギだったんです。
2007/4/ 7 17:31 | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック (0)
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