昔ばなし(車歴)
- 主なトピック(このカテゴリの記事の一部です)
- 1984年7月:「中免」取得の思い出ばなし
- 1984年9月:VT250Fが欲しい!
- 1984年〜1985年:初ツーリング初ゴケ
- 1985年5月:記憶喪失
- 1986年4月:VFR400R買っちゃった
- 1986年6月:日本海ツー 2日目
- 1986年6月:田んぼに落ちた!
- 1986年秋〜1987年春:VFR400Rを青/白に
- 1988年5月:VFR400Rの最終形態
- 1988年9月:2サイクルって馴染めなかった…(RZ250R)
- 1988年後半〜1989年:SC24 CBR1000F(最高のマシン!)
- 1990年頃:CBR1000Fの動画(2カメでツーリングなど)
- 1993年〜1994年10月:4CC2 YAMAHA FJ1200A(ABS初体験)
- 1994年頃:BFMR MAZDAファミリアGT-X(初めての四輪車、そして初めてのダート)
- 1994年11月〜1995年5月:BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -前編-(氷上走行会は楽しい〜)
- 1995年5月〜1997年3月:BG8Z改 MAZDAファミリアGT-X -後編-(壊しまくる)
- 1996年〜1997年:PG6SA MAZDA AZ-1(ミッドシップって、楽しい!)
- 1996年1月12年前の…(かみさん)
- 1987年8月昔の写真いろいろ(Tyrrell P34とか部屋とかVFRとかCBRとか)
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2006年11月 2日(木)
「中免」取得の思い出ばなし
「昔ばなし」カテゴリを作ってみました。
ネタが無くなったから…というわけではなく、先日届いたアンケート(別ブログ)の中に、「過去の車歴と詳細な購入背景」を書く欄がありましてね。思い出して書いているうちに、ふとそんな気分になったのです。
写真は1980年代前半(?)、当時オヤジが乗っていたYAMAHA XV750スペシャルです。
オヤジは、これの前にもXS650等、YAMAHAの大型二輪を乗り継いでいました。いわゆる昔のオマケ免許ではなく、ちゃんと限定解除に行ったそうです(実際、四輪の免許はかなり後になってから取得)。
そんなわけで、子供のころからバイクが大好きで、毎週のようにオヤジの後ろに乗っかってあちこち連れて行ってもらいました(連れ回されたという表現の方が正しいかも)。
そして週末、洗車の手伝いをすれば、「ご褒美」として近所の空き地や写真のような埠頭で練習させてもらいました。
「今日はセカンドギアまで使ってみよう」とか言って。
その後、中学、高校と進み、いよいよバイクの免許が取れる年齢になると、オヤジから
「早く免許取りに行けよー」
と急かされます。一緒にツーリングに行きたい様子でした。
でも、当時は高校の規則で禁止されていたために断念しました。
(オヤジ、学校に文句言いに行ってたかも!)
写真は、山形県の「鶴岡自動車学園」です。
高校卒業を待って、大学1年の夏休みに合宿免許に行くことにしました。
1984年の夏のことです。

昼間は教習、夜は現地で知り合った仲間と温泉に行ったり、うまいもん食ったり、楽しかったなぁ〜
教習車は「HONDA HAWK II CB400T」でした。
CBX400と入れ替え時期でして、3回に1回ぐらいはCBXに乗れました。「試験車でCBXに当たるとラッキー」みたいな。
上野から新潟経由の夜行列車で往復しました。
写真は当時の「鶴岡駅」です。

合宿で知り合った仲間たちとの記念写真です。
あっという間の合宿期間でしたが、帰宅後もしばらく年賀状のやりとりしていました。
今は何してるのかなぁ〜 この写真に心当たりがあれば連絡くださいね〜
あ、ちなみに私は右から2人目です。
(当時、体重は60kg台後半だったっけ…)

ところで、この記事の「荒くて画質の悪い写真」は、こんなフィルムで撮影しています。
どういうわけか、大学時代に使っていまして…。
ご存じの方、いらっしゃいますか?
2006/11/ 2 12:17 | 固定リンク | コメント (19) | トラックバック (0)
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2006年11月 4日(土)
VT250Fが欲しい!
昔ばなしシリーズ第2回です。
山形の合宿から帰宅した私は、すぐに筆記試験を受け、めでたく初めての免許証を手にしました。
乗りたいバイクはすでに決まっていました。
VT250F。
いわゆる「II型(honda)」と呼ばれているやつです。
写真は、実家に遊びに行った時に、たまたま実家の近所に住んでいることが判明した大学時代の友人と会っている所をオヤジに隠し撮りされたものです。
このVTは私のではなく、この友人の物です。
実車を見て、ますます欲しくなる私でした。

1984年秋。
新古のVT250Fを入手しました。
オヤジの仕事の関係で(TV CMとかPR映画作ってました)、撮影のワンシーンで使っただけという、ほとんど新車を格安で譲り受け、乗って帰ってきました。
VTを選んだ理由は、とにかくスタイルに惚れたから。配色も大好きな「青/白」です。
免許取り立ての私に、ハイイナーシャポートがどうたらこうたら…他と比べてどうのこうの…なんていう知識はまだまったくありません。
心地よいVサウンド。水冷2気筒。250ccでありながら、そこそこのトルク感と重量感。
慣れてきた頃、エンジンを回して行くと、ちょっとモタモタした感じはありましたが、トータルバランスは良かったように思います。
というわけで、大学1年。やっとバイク乗りの仲間入りです。
2006/11/ 4 10:50 | 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)
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2006年11月14日(火)
初ツーリング初ゴケ
1984年(昭和59年)の話です。
VT250Fを手に入れた私は、早速大学の友人たちと初ツーリングに行きます。場所は「箱根」。
だいたいのルートを友人が説明している時、地図に書かれている「R14」などの記号を見て、「Rって何?」と質問していたぐらいの超初心者ぶりです。
実は初ツーリングは私だけ。他のみんな(特にRZ軍団)は、かなり走り込んでいる人間です。
写真の場所は「西湘バイパス」の「西湘PA(maps.google)」です。
当時、箱根方面に走りに行く時は、必ず休憩して写真を撮っていた場所です。
RZ250R×2、RZ350、VT250F×2。フルカウルのVTは、前の記事の友人のものです。
時代を感じます。
西湘バイパスを降りた一行は、R135を南下します。真鶴道路と旧道に分岐する地点(maps.google)で一度止まり、「これからクネクネ道が続くので自分のペースで!」というような話をしたんだと思います。
そしてスタート。
RZが白煙を上げてパーーーンと行っちゃいます。
一所懸命アクセル開けて付いて行きます。
で、第一コーナー。
根府川付近のガード下(mapion)で外壁にへばりついて転倒しました。
「だって、RZはあのスピードでちゃんと曲がれたもん!」
後から聞いた話、ああいう場面でトップギアのまま進入しちゃぁダメだとか。
今となっては当たり前のように操作していますが、教習所では「交差点を安全に曲がる方法」は教えてくれても、スポーツ走行時のコーナリング方法までは教えてくれません。とにかく、何〜〜〜んにも知らない初心者だったのです。
思ったより曲がらず、怖くなってアクセル戻しちゃって、バイクも起きて…ギアも高いからパワーも路面に伝わらず、どんどんアウトにはらんでトンネルの壁とお友達…というわけです。
なんか、すごく悔しかった!
この日を境に練習しました。コーナリングの。
めらめらと燃える闘志!
バイクはレバーとペダルが曲がったくらいで、大きな被害は無いということでツー続行です。
初ツーリング。
とにかく2サイクルオイルのニオイと白煙の記憶だけはしっかり残ってます。
写真に写っている「菅ちゃん」、「ハチ」、「かっちゃん」、写真取り込みながら懐かしいなぁ〜と眺めてました。
今どうしてる?
偶然でもここ発見したら連絡ちょうだい!
(撮影者の「ちゅーげん(RZ250R)」は、すでに他界しちゃったよ)
後日、「初日の出ツー」のひとコマです。
場所は、千葉県。太平洋側のどこか。
この写真撮影の後、左の「VF400インテグラ」から“順番に”事故って廃車になりました。

自分の番の時の最後の一枚。
この後、母親からバイク禁止令が出ましてねー
仕方ないので友人のバイクを借りまくってました。
(ぉぃぉぃ)
2006/11/14 18:43 | 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (0)
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2006年12月10日(日)
記憶喪失
昔ばなしカテゴリ4話目です。
VT250Fを潰してからは、バイク禁止令が出ました。
わずか半年の間に、峠での転倒2回。右直事故による救急車搬送1回。歩行者飛び出しによる交差点事故1回。若い頃は無茶でした。
特に歩行者飛び出し…正確には信号無視で飛び出してきた自転車を避けようとしてガードレールに突っ込んだらしいのですが、これは「らしい」と人事のように書いている通り、スネル規格(yamaha-motor)のフルフェイスが割れるほど左後頭部を打って記憶が飛んでしまったために覚えていません。
ほんの少し覚えているのは、仰向けに転がって上を見上げているシーンで、メットのシールドが開けられ、小太りのメガネのおじさんが覗き込んで
「大丈夫かー? 今、救急車呼んだからねー」
と話しかけてくれたことだけです。西船橋(maps.google)の建物のネオンが眩しかったことが記憶に残っています。
それから一ヶ月は記憶が定着しない短期記憶障害が続きました。3分しか記憶が持たないので、自分が3分前にやっていたことを忘れて同じことを繰り返していたそうです。これも人事のようですが、本人、その間の記憶が全部飛んじゃってますので…。
人間の記憶は寝ると定着するという話を聞いたことがあります。朝起きてからの記憶は、側頭葉近くの一時記憶領域に溜まり、寝るとアーカイブされて大脳に回る…そんな話を聞きました。ところが、衝突等の衝撃で一時記憶領域に障害が出ると、その日起きてからの記憶が全部飛んじゃうらしいのです。一時記憶装置自体が機能していないので、先に書いたような短期記憶障害が起こるのだそうです。例えて言えば、コンピュータのメインメモリで作業中、瞬電でデータが飛んじゃって、HDDにセーブする前の情報がパーになった…という感じでしょうか。大脳に定着した古い記憶には問題が無いので、自分の名前も言えるし、両親の顔も覚えていた…というわけですね。
後から聞いた話、この時母親は、私の未来を「諦めた」そうです。
と、だいぶ話が長くなりましたが、そんなわけでバイク禁止令は当然であります。
その後、脳味噌は回復してきました。神経細胞が再構築され、障害部分を迂回するように結線が変わったのではないかと思ってます。このあたりは専門家では無いのでなんとも言えません。
「記憶喪失」は状態であり、病名ではないそうです。(excite)
で、回復してくると、やっぱり乗りたい!
写真は1985年5月(この時点では19歳)。友人のVTを借りて伊豆に走りに来たときのものです。もちろん両親にはナイショです。親不孝ものをお許しください。
伊豆方面に来ると、必ず走る道があります。
それがK19-宇佐美大仁(うさみおおひと)道路。
宇佐美方面から登る「亀石峠」が大好きで、当時埼玉に住んでいましたが、一ヶ月に3度は来ていました。
写真の場所(maps.google)

取り込んだ元データと元写真が見つからず、ずいぶん前にスキャンした画像ですが…。
だんだんと乗れるようになってきて、峠が楽しくなり始めた頃です。
当初、『亀石峠大好き』というタイトルでアップする予定でしたが、記憶障害の話が長くなったので、タイトル変えちゃいました。
みなさん。バイクは危険な乗り物です。危なっかしい乗り物という意味ではなく、事故には無防備という意味で。なので、死なないための最低限の装備は必ず!
2006/12/10 08:47 | 固定リンク | コメント (24) | トラックバック (0)
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2006年12月20日(水)
VFR400R買っちゃった
VTを潰してしばらくの間は、バイクを友人から長期レンタルしていました。複数台持っていた奴から1台借りたり、「1ヶ月ぐらい実家に行って戻って来ないから乗っててくれ」という話だったり、NS250Rや400R、FZR400等に乗っていました。これで都内にアルバイトに出かけていたっけ…。

しばらくして、バイク雑誌を眺めていたら、VFR400R(honda)が発表になりました。NC21。一番最初のVFRです。
一目惚れしました。
即決即行で予約に走ります。
1986年春。二十歳の頃です。
この頃って、いわゆるレーサーレプリカが思いっきり流行りだした時期ですね。
感動しました。VTとは同じV型エンジンですが、2気筒と4気筒の差、250ccと400ccの差! 歴然ってやつです。カムギアトレインの「にゃーにゃー」言うエンジン音にVフォーサウンド。
嬉しくて嬉しくて毎日乗り回し、一ヶ月で5000Km走ってしまいました。
写真はVFRで初めてツーリングらしいツーリングに行った時のものです。
お互いシートを交換したVT250F乗りの大学の先輩方と3人で「日本海見てやるんだぁ〜ツーリング」に行きました。先輩、まだ日本海を見たことが無いというので…。
1986年6月28日〜30日の行程です。
で、この時、碓氷峠(Wikipedia)で転けました!
路面がウェットだったんですけど、調子に乗って走っていたらツルっと…。まぁフロント16インチゆえのイン切れ込み転倒で(いや、単に下手くそだっただけです)、スピードが遅かったので大した被害は無かったんですけどね。
チェンジペダルが折れたので応急処置を…してもらってるところを撮影したものです。「写真撮ってないで自分でやれ〜」と文句言いながらも、(かわいい)後輩の面倒を見てくれる頼もしい先輩です。今頃どうしてますか?写真の場所(maps.google)
いぢわるにも先輩の一人が、私が転けた場所で再現してくれてる所です。
「転けたあとね、ここまでコロコロと…」
オール下道で(当時、上信越道(Wikipedia)は開通していません)R18を北上して野尻湖経由で日本海に出ました。
嬉しくなって、みんなで砂浜まで押して行ってパチリ。

この日は柿崎の民宿に一泊です。
このツーの記録は、こんな感じのアルバムに整理してあったりします。
野尻湖のパノラマ写真も撮ったりして…。
2006/12/20 18:40 | 固定リンク | コメント (18) | トラックバック (0)
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2007年1月 5日(金)
日本海ツー 2日目
1986年6月29日の話です。
ここは新潟県の『柿崎(maps.google)』にある民宿です。(地図は自信無し。たぶんココだと思いますが同名の違う民宿かも…)。
1階は普通の民家で、ご家族が朝食を取っている横を通って外に出ます。
しっかり雨。
残念ですが、出発です。
雨〜 雨〜 雨〜
晴れていれば佐渡島が見えるのに〜
とりあえず「新潟に来たぞ」記念。
『新潟駅(maps.google)』です。
その後一行は『若松街道(maps.google)』を抜けて川治、鬼怒川温泉を経由して『鹿沼(maps.google)』まで一気に帰ってきます。
同じ大学の先輩の実家に素泊まりするぞ〜計画です。
しかし、その後、悲劇が起こります…
2007/1/ 5 12:34 | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
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2007年1月26日(金)
田んぼに落ちた!
昔ばなしカテゴリ 7話目。日本海ツー2日目の夜(1986年6月29日)のことです。
新潟から『鹿沼(maps.google)』まで一気に帰ってきた一行は、同じ大学の先輩の実家にお世話になることになりました。
道に迷ったので、黒VTの先輩だけが探しに出ました。
なかなか帰って来ないので心配していたら、しばらくして歩いて帰ってくるではありませんか。
「田んぼに落ちたー。救出手伝って」
家を探しながら夜の田んぼ道を走っていたら、急に道が無くなったのだとか…。
で、そのまま1.5mの落差をダイブして田んぼに着地。
あぁ〜あ。
怪我が無くて良かったです。
私たちも現場に向かいます。
「あぁ〜ホントに落ちてるよー」
と、サイドスタンドをかけてバイクを降りたら…
ガシャン ズボッ
私のVFRも落ちました。
サイドスタンド、きちんと出てなかったようです。
倒れてそのまま逆さまの状態で田んぼに埋まりました。
この時はすごかったですね。火事場の馬鹿力って言うんですか?
車両重量約180kgのVFRを、上から引っ張ってもらったとは言え、1.5m上の道路まで持ち上げたのですから。
田植え直後の田んぼだったので、やわらかく埋まって損傷は少なかったのですが… オドメータがこの日を境に動かなくなりました。
今でもハッキリ覚えています。
「16290km」で止まったんです。
4月に買ったVFRが6月の終わりに16290kmですから、やはり一ヶ月に5000km以上乗ってた計算ですね。
メーター止まっちゃいましたが、このVFRには15万km以上乗ってたことは確かです。
あ、そうそう、落ちた田んぼですが、もちろんそのままではありません。
持ち主の方がやってきて、こっぴどく怒られました。当たり前です。
そして、ぐちゃぐちゃにした部分を(夜中に)3人で田植えをして許してもらいました。
無事(…ではありませんが)帰ってきた記念撮影です。
いろいろありましたが、大学時代の楽しいツーの想い出の一つです。
2007/1/26 16:26 | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)
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2007年2月12日(月)
VFR400Rを青/白に
1986年秋から1987年春の話になります。ちょうど20年前です(以前、別サイトで公開していた記事と一部同じですが、閉じてしまったので再度こちらにアップしました)。
その後のVFR400Rです。
(だいぶ写真が劣化してますがご勘弁を!)
買った時と色が違いますが、カッティングシートを使ってイメージチェンジした状態です。もちろん、こんなカラーリングのVFRは発売されていません。
発売後しばらくすると、街中で同じVFRを目撃することが多くなりました。
当時は大変目立ちたがり屋でしたので(今は…そうでも無いかも…)同じバイクが走っているのが面白くないんですよね。
VTも「青/白」を買いましたし、もともと「青/白」が好きなんですよね。
※今回はPhotoshopで加工したのではなく、ホントに色を変えてます。念のため!
水色と紺色のカッティングシートを買ってきて、ハサミでちょきちょき切りながらひたすら貼り付けたんです。
カウルは全部外して部屋の中に持ち込み、曲面にカッティングシートを貼る場合は、ドライヤーを当てて伸ばしながら綺麗に仕上げました。
当時は、大変目立ちましたよ。
しばらくこのカラーリングで乗っていましたから、「あ、そういえば見たことあるぞ」なんて言う方、いらっしゃいませんかね?
あ、そうそう、そういえば前にs_boldorさんのパンク記事のコメントで、「応急処置用品(パンク修理剤)をリアカウルの下あたりにぶら下げてました」と書いたことがありますが、この写真に写ってますね。リアカウルの下の白いものです。
これは学生時代に住んでいたアパートです。
ご覧のとおり、友人たちの溜まり場でした。
懐かしいバイクがいっぱい。
ところで、この写真に写っているVFRのスクリーンが…変なカラーリングですよね。
実は、塗り替える時に、スクリーンをスモークにしたくて、スプレーを吹きつけたんですよね。そうしたら、ヒビが入って汚くなってしまったのです!
仕方ないので、余っていた白いスプレーでごまかし、寂しいので模様を付けたら…こんな風になってしまいました。今見ると、かっこ悪い! 友人には「族車みたいだ…」と言われました。
1枚目と2枚目の写真は、後にスクリーンだけ買ってきて付け替えた状態のものです。
当時の仲良し(?)3人組。
いつもつるんで走りに行っていました。
写真の場所は西湘バイパスの『西湘PA(maps.google)』です。
今年の1月に行った富士周遊ツー(別ブログ)の時に同じ場所に行って写真を撮ってきました。コンクリートの壁に柵が付いたみたいですが、20年前とあまり変わっていませんね。
この写真は、スクリーンを透明に戻した後に、軽井沢方面にツーリングに行った時のものです。
写真は碓氷峠の上(maps.google)です。
前の記事で応急処置した場所ですね。
メンバーは、やはり同じ3人+1人で、一番右に写っている人間が当時の私です。
彼らは、今でもロードレースやってますよ。
(リンク先のサイト、記事書いている今現在、かなり重いです)
確かこの頃は、ヨコハマの『プロファイア』がお気に入りで履いていました。
マフラーはサンセイ管を付けていました。
本人、めちゃめちゃ気に入って乗り回していた頃です。
2007/2/12 17:12 | 固定リンク | コメント (15) | トラックバック (0)
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2007年3月11日(日)
VFR400Rの最終形態
昔ばなしカテゴリ 9話目です。1988年の話になります。
これも、以前別サイトで公開していた記事と一部同じですが、閉じてしまったので再度こちらにアップしました。
今回でVFR400Rの話は最後です。

これ、なんだか分かりますか?
前の記事で紹介したカラーリングに不満はなく、すごく気に入っていた配色でしたが、しばらくすると飽きてきました。
今度はカッティングシートではなくオールペン(全面塗装)しようと思い、「どんなカラーにしようかなぁ」と、色鉛筆片手にデザインを決めていたときの写真です。
何度も書いてきました(別ブログ)が、基本的に「青/白」ツートンや「水色/紺」が組み合わさった配色が好きなので、今回も使う色は一緒です。
ただし、今回はベース色を「紺」にしようと思いました。

VFRのストリップです。
ベース色が変わるとなると、カッティングシートだけでは難しいです。
できないことはありませんが、全塗装した方がはるかに楽です。これは、曲面にカッティングシートを張る面倒くささを実感したためです。
塗り替えるパーツを本体からすべて外して塗装の準備をします。
ガソリンタンクを外したり、スプレーを使うため、火気厳禁。くわえタバコもダメですよ(当時は喫煙者でした)。
ガソリンタンクのような金属部分には『はく離剤』をかけて元の塗装をはがします。これをプラスチック部分にやると…溶けます。

実は、左のアンダーカウルを溶かしました。
前の記事で紹介した友人2人に手伝ってもらい、パテ埋め補修作業の後、市販のスプレーで塗っていきます。

ベース色が塗り終わりました。
友人のアパートに材料を全部持ちこみ、そこで店を広げての作業です。
使ったスプレーの数は10本ぐらいでしょうか。なんとなく、イメージ通りになってきたような気がします。
これだけを眺めていても、なんとなく楽しいもんです。

上に色を重ねて塗っていくためのマスキング作業に入ります。
マスキングテープや新聞紙を使って、新しい色を塗る場所だけが現れるように貼り付けていきます。

仮組みしてみます。

早く完成形のイメージが見たいから…という理由もありますが、アンダーカウルとサイドカバーのラインが真っ直ぐにならないとカッコ悪いので、真横から眺めて、最初のデザインとラインが一致するかどうか、最終確認をします。
こんな感じで次々に上塗りして、サンドペーパーやコンパウンドで磨き、最後にクリアを吹けば出来上がり!
(途中の細かい作業の写真が残っていないのです…)
さて、塗装が終わって乾いたら、それに乗ってみたくなるのが心情ってもの。
さっそく箱根に走りに行きましょう!

この日の箱根は、あいにくの雨でしたが、先の友人2人と思いっきり楽しみました。
このバイクでは、ライディングテクニックを色々勉強できました。

VTもそうでしたが、フロントが16インチでしたので寝かせるとどんどんイン側に切れ込んでくる…。
17インチや18インチに慣れた人だと、最初はみんな恐がっていたのを思い出します。
ハングオンを覚えたのも、このバイクですし、あと、あれってなんて言うんでしたっけ? 車で言うヒール&トー。右手でフルブレーキングしながらブリッピングして回転合わせてシフトダウンってやつ。
バイク買ったばかりの頃は、これができる人が羨ましくて、一所懸命練習して出来るようになりました。
「俺サ・ノービス」(笑)
(A級はこちらへ…(笑))
我ながら、雨の中、よくやりますよ…
メンバーはいつもの3人で、お互いに写真の撮りっこしたりして楽しかったなぁ。
一服中の私です。
くどいようですが当時は喫煙組で、休憩時の一服は最高の楽しみでした。
場所は確かこの辺(maps.google)。
1月の富士ツー(別ブログ)の時に、この場所で指をさしたのを覚えている人は…いませんよね。

バイクのカラーリングが変わったのに、ヘルメットがそのままじゃぁ…。
というわけで、メットもオールペンすることにしました。

サンドペーパーで塗装を落として、まずは白で塗りつぶします。

ライン部分をマスキングして、バイクと同じ紺色を吹きつけます。

コンパウンドとクリアを吹いて仕上げます。
VFRネタの最後に、もう一度写真を並べてみます。

買ったばかり。

カッティングシートで青/白に。

これが最終的な完成形です。
ステッカー類は、VFRの純正品をホンダのパーツセンターに注文しました。
このカラーリングも、結構気に入りました!
「1988年5月5日」ですね。
確かこの時は洗車していたんだと思います。
乾燥がてら、近所を走っている所を同じアパートの友人がパチリ…と。
2007/3/11 21:50 | 固定リンク | コメント (17) | トラックバック (0)
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2007年4月 7日(土)
2サイクルって馴染めなかった…
昔ばなしカテゴリ 10話目です。1988年後半の話です。
VFR400Rは盗難にあいました。社員旅行に行っている間に…。
帰ってきたら、あるべき場所にあるべきものが無い! 切られたチェーンとカバー、そして壊されたキーの破片を残して、それは消えていました。
「あれ? 出かける前に誰かに預けたっけ?」
こういう時って、しばらく目の前の状況が把握できないんですよね。
オリジナル塗装のバイクだったので、
「すぐに見つかるかな?」
と思っていましたが甘かったようです。
結局出てこないし警察は真剣に探してくれないし。あぁ、なんか思い出すだけで腹が立ちます。なんで、人のものを盗むかなぁ。
通勤にも困るので、何か中古で買おうと思って探していたらRZの出物があるということでいつものショップに行きました。初めてヤマハのお店でヤマハ車を買いました。
RZ250Rは2サイクル2気筒エンジンのオンロードスポーツ車です。
4サイクルエンジンには無い“どっかん加速”が気持ち良くて、
「おー、いいなぁ。これ」
と、最初は思っていたんですけどね。どうも、やはり2サイクルには馴染めなかったようです。何より、ガソリンの他にオイルの量を気にしなければならないのが面倒で面倒で…。
そんなこんなで、あまり愛着も湧かずに手放しました。残っているのはサービスマニュアルのみ。
正確にはコレ、限定解除するまでのツナギだったんです。
2007/4/ 7 17:31 | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック (0)
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